【解説】ハンターハンター337話「懺悔」に登場するコアラの正体は? カイトが転生した少女との会話を分かりやすく解説。

今回は、ジャンプ連載時に「ひどい手抜き」と話題になった337話「懺悔」の内容について解説していくわ。

単行本掲載時にも、この絵には修正が加えられることがなかったから、アタシは個人的にこの作画は「わざと」だと思っているの。

本来相当な画力を持つ絵描きが、あえて崩れた作画をするのはピカソしかり天才たる所以だからね。何か意味を持たせたかったはず。

今回は内容が超真面目だから、シリアス蒲田モードで書いてくわよ。

337話「懺悔」とは

337話「懺悔」はコミックス32巻に収録されいる、コアラのキメラアントとカイトが転生した少女の対話がまるまる一話描かれる回。

コアラの哲学チックな終末論が展開される337話は、ジャンプ掲載時は非常に評価が悪かったよう。

けどハンターハンターの中でここまで抽象的なエピソードは初めてだったので、個人的にずっと引っかかっていたんだ。

抽象的な表現が多いため、モヤっと理解はできるんだけどイマイチ何言ってるか分からない人も多いんじゃないかしら?

337話「懺悔」に登場するコアラの正体は?

この話に登場するコアラは、コミックス19巻28ページで登場。名前は不明。

かなり前世の記憶が色濃く残っているキメラアントで、人間の頃は殺し屋をやっていたということから、黒スーツに武器は銃のように攻撃できるひょうたん。

キメラアントの中にはジャイロやコルト、イカルゴのように、前世の記憶や性格、意思が明確に残っているキャラがいるけど、このコアラもそうみたい。

殺しをゲームのように楽しむキメラアントが多い中、彼なりの「生殺観」を持つキャラクターである。

メレオロンが言う「泣いて逃げ回る子供」はおそらくカイトが転生した赤髪の少女。すでに、この頃から前世の自分とキメラアントに転生した自分については思案しているみたい。

「救う」というのが、337話ではキーワードになってくるんだけど、「救えねぇ」という言葉には、諦めのニュアンスをもつ観念的な意味があるんだろう。

コアラは何に「救えねぇ」と言っているのか?
  • 逃げ回る女の子を「救えなかった」
  • 転生してもその人がもつ運命は不変という事実が「救えない」
  • 転生してまで同じことを繰り返している自分が「救えない」
  • また、それを分かっていながら変わろうとはしない自分が「救えない」
  • 弱者は決して強者には抗えない世界が「救えない」

おそらく、こんなところだろう。

337話「懺悔」に登場する赤毛の女の子は誰?

「懺悔」に出てくる女の子は21巻66ページで誕生。メルエムが予定より早く女王の腹を突き破って出てきた際に、お腹の中に唯一残っていたキメラアント。

メルエムと同じお腹にいたということから、カイトが転生したこの女の子はメルエムの双子の妹ではないか、という考察もあるけど、少し無理があるね。

30巻の125ページの時点ではカイトの自我がでてくるほどまでに成長した。

32巻でゴンが復活する頃には、10歳前後の赤髪の少女へと成長していたわ。

アバター
春川

コアラは自分が殺したであろう赤髪の少女に向かって懺悔するわけだ。

アバター
プロフェッサー荻

そして、赤髪の少女にはカイトの魂が転生していたんだな。

アバター
蒲田

そういうこと。ただ、コアラの懺悔が抽象的だからアタシなりに噛み砕いていくね。

では、337話「懺悔」でコアラとカイトは何を言っているのか、私見を交えながら解説していこう。

コアラによる少女への懺悔

キメラアント編では蟻たちの狩りのような残虐な殺しが、「いかにも悪」というふうに描かれているけれど、彼らは人との接触交配によりうまれた生物。

つまり、半分「人」なわけである。

人の「悪意」を色濃く受け継いだキャラクターは「個」の主張が大きくなり、衝突する。逆にキメラアントの中にも人間との接触で心の成長を遂げるキャラもいる。

ただ、コアラはどちらもできなかった。

なぜコアラは成長できなかったのかを意識することで内容を読み解きやすくなだろう。

まずは導入部分から。

コアラは自分の行った「殺し」を懺悔するためにカイトの転生した少女が暮らしていると思われる屋敷へと足を運ぶわ。

まずは自分の前世がヒットマン(人殺し)だったことを語るわ。

「あぁ… 同じ事くり返している。って思ったよ」

というセリフから、コアラは過去の人格と記憶が色濃く残るキャラクターだということが分かるね。

コアラの言う「馬鹿げたサイクル」とは?

コアラ曰く、殺し屋の仕事は、「命じられて、引き金を引くだけ。」「それ以外の時間は誰かを怒鳴っていた。」と語り、殺しの仕事は「誰にでもできるもの」と評しています。

コアラは気づきます。

キメラアントになっても、自分は女王に命ぜられるままに人を殺し、エサとして献上している。

人から獣になってもなお、自分は同じ事を繰り返している。

それじゃダメだということは何となくは、分かっている。

キメラアント編では「転生」がキーワードになりますが、コアラは自分の転生、ひいては魂の輪廻転生を「馬鹿げたサイクル」と言っています。

しかし、コアラは魂を信じていなかった。

殺すことで少女は「無」となり、馬鹿げたサイクルから逃げ出せると思っていたようだ。

だけど、自分は前世の記憶を色濃く残し生まれ変わっている。

転生はしたが、魂は信じていない。その矛盾にコアラは苦しんでいたのかもしれないね。

だから、「逃げて」くれと祈りながら撃った

コアラはその事実を受け入れきれないが故に、そのサイクルから「逃げてくれ」と祈りながら少女を殺す。

輪廻転生という現実を自分自身で体験しておきながらだ。

コアラでいう馬鹿げたサイクルとは「命令通りに引き金を引く」人生のサイクル。

この少女であれば、「平穏に暮らしていたのに、突然理不尽な暴力に晒されて死ぬ」人生のサイクル。

つまり、赤毛の少女にカイトの人格が入ったことにより、自分が殺した少女は馬鹿げたサイクルから「逃げれた」。

もっと言うならば「救われた」とコアラは考える訳だ。

ただこれは「殺し屋の自分と変われない自分を正当化しているだけ」である。コアラ自身、積極的に逃げる手助けをした気になりたかった。と語っている通り、自分でもそれがただの言い訳だという事には気づいていたはずなんだ。

おそらく、前世でも殺しを都合のいいように正当化していたのだろう。のちにコアラから、「このままじゃいけないと思いながら、選択を間違ってきた」という言葉があるが、「逃げる手助け」は「間違ったものだ」ということは理解しているのだ。

だからこそ「救えねぇ」なんだ。

ここで始めて少女の顔のアップが描かれるが、表情は読めない。

この時の少女とカイトは、この言い訳じみた懺悔に何を思ったんだろう。

コアラは「魂」の存在を認める

そしてコアラは「魂」の存在について語り出す。

自分がキメラアントへと転生するまでは「魂」の存在を信じてはいなかったようだ。

しかし大半の人はそうだろう。

仏教をはじめ、インド哲学、東洋思想には輪廻転生(死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくる)という教えがあるけど、コアラはその存在を認めざるを得なくなった。

それからは「逃げれない」し、ましてや個がそのサイクルを崩す事は不可能。その繰り返しが宇宙を作り出し、魂という小さなものが、莫大なエネルギーを持っているとコアラは悟ったようだ。

輪廻転生を受け入れて、馬鹿げたサイクルを繰り返さないよう自分が変わる為には何をすればいいのか、コアラは考える。

生きているうちに心に与えるべき何かとは

コアラは人間からキメラアントに転生することで、「魂」の存在を認めざるを得なくなり、なぜ馬鹿げたサイクルを繰り返すのか思考する。

ここで言う「くり返しちゃダメだ」というのは転生ではなく、コアラ自身のこれまでの生き方のことを言っている。

このエピソードの最後でコアラから「精一杯生きてみるよ」という言葉があるが、おそらくコアラは、何かを一心にやるということがなかったのだろう。

0になる為、つまり馬鹿げたサイクルを終わらせる為には、自分が燃え尽きるしかない。人任せにしていてはダメなのである。

21巻73ページ、カイトの愛弟子であるスピンの言葉にこのエピソードを読解する為のヒントがある。ゴンが自分のせいでカイトが死んだかもしれないと、後悔し弱気になっているシーンだ。

スピンは反省や後悔を引きずるのではなく、今なすべき事は何か考え、 それを貫き通す意志を持つことが大切だと言う。コアラはそういった意志を持つことがなかったのかもしれない。

「意思」ではなく「意志」ってとこに冨樫先生のこだわりがみえるね。

意思と意志の違い
意思 … 何かをしようとするときの元となる心持ち。自分の考えや、思い。
意志 … 目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き。何かを成し遂げようとする心。

すすけた魂を浄化するための代償とは

コアラは転生しても自分はまた同じ事を繰り返すだろう。と語る。

なぜか?

さっきコアラが言ってた、「心に与えるべき何か」が足りないというのが1つ。

そして「このままでいいはずがない」と思いながら選択を間違ってきたから。というのが1つ。これは前世でもそう感じていたそうだ。

「俺が打つべきだったのは、少女ではなく追ってきてた連中(他のキメラアント)だった…!」

という言葉の通り、間違った選択と気づいていながらも、自分を守るために彼女を打ったとコアラは告白する。

すすけた魂を浄化するための代償とは「意志」を持って生きること。

意志を持つと傷つく。ただ、思うだけで行動は変わらないし、傷つかないが同じ過ちを繰り返すだけなのだ。

ちなみに、キメラアント編には強い意志をもった人間側のキャラクター達だけでなく、蟻側にもメルエムを始め、コルトやイカルゴ、ウェルフィンといった強い意志をもつキメラアントが登場する。

確かに彼らは傷ついた。身体的な傷以上にだ。コアラは彼らを側から見て、「あまりに痛そう」だと感じたのだろう。

ここまで懺悔してきたが、結局コアラは変わらない。具体的な意志はなく、自分の殺した少女に勝手に懺悔し立ち去ろうとする。これでは今まで通り馬鹿げたサイクルを繰り返すだけである。

少女(カイト)の優しさとゴンとの対比

コアラの懺悔が一通り終わり、次は少女のターン。

ゴンもこの少女に会いに登場します。

コアラの懺悔に対する少女(カイト)なりの優しさ

反省しているようで、これからも同じことを繰り返してしまうだろうコアラに対して、少女(カイト)なりの優しさを投げかけます。

「お前が撃ったあたちのそばで、これからずっとこれしかないって生き方をするんだ」

おそらくコアラにとっては「救われる」一言なんじゃないだろうか?

少女が言ってることは物騒だけど、少女は弱きコアラに「これしかない」生き方を提案したのである。

自分が殺した少女のそばで生きるのは痛いだろう。しかし、コアラは今までの生き方を繰り返すことなく「すすけた魂」を浄化することができそうだ。

コアラの懺悔に対するゴンの謝罪

ちょうどコアラの懺悔が終わった頃、ゴンもカイトに会いにきます。

ゴンはカイトに謝るも、「何に対して謝っているのか?」とカイトに詰め寄られます。

ここでのゴンの言葉は、コアラとは非常に対照的。

簡潔で、具体性があり、言い訳せずに自分の意志を伝え責任を背負う。

ゴンの言葉を聞いて、コアラは何か思うところがあったのかもしれない。

コアラは謝罪し、自分の本当の気持ちを簡潔に伝えた。そして「これからどうするのか」という言葉も少女に伝えた。死ぬ時に「精一杯やった」と思うためには、これしかないという生き方をするしかないと。

少女とカイトの人格について

このエピソードをよく読むと、コアラに対して話す時は一人称が「あたち」

ゴンと話す時は「オレ」になっている。

意識的に人格を切り替えられるのかどうかは分からないけど、コアラとゴンの対比同様、少女とカイトもハッキリと描き分けることで、コアラとゴンの対比もわかりやすくなっている。

あとは、カイトとしての自我ははっきりとあるのに、コアラの懺悔には少女として付き合ってあげる。というカイトなりの優しさの表れかもね。

まとめ

どうだったかしら? アタシなりの解釈だけど、少しは読みやすくなったかしら?

そもそも懺悔って「罪を悔いて神に告白し許しを請う行為」なんだよね。

だから、反省しているようで責任の所在が自分にないから、これまた自分勝手に救われてるだけ。

わざわざ、キメラアント編の後に、わざわざ絵をラフにして印象に残るようこの話を描いたのは何か意図があるはずなの。

冨樫先生はキメラアント編で何を描きたかったんだろう? それは誰にも分からないし、答えのでない問題だけど、今回は長くなったのでまた別の記事で。冨樫先生の伝えたかった思いを深く考察してみるわ。

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